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理解と愛のあるところに

古山です。

多くの大人は、子どもがしたくないことをさせるのが教育だと思っています。だ
から、学校は無理して行くことに価値があります。宿題は出してもらわなければ
いけない。遊びは、勉強に食い込んではいけない。

そんなのつまらないじゃないですか。

喜びや美しさが感じられない生活をしていると、善悪感覚が失われます。すべて
は「すべきこと」「いけないこと」の決まり事になります。そういう人間が多い
社会は、正しいことをしている気でいて、とんでもないことをします。

日本の戦前の軍国主義教育がそうです。
現在の日本は、人殺しは称揚されていませんが、自分を殺すことが訓練されてい
ます。

子どもが、なんのためだか理解していないけれど、説き伏せられて、あるいはご
褒美に釣られて何かをするとき、ある無神経さ、思慮のなさが育ちます。自分の
身を護るためだけの行動をしているのです。言われたことをすればいいのであっ
て、それが自分にとってなんであるかも、他人にとってなんであるかも、気にし
ないのです。

この無神経さ、思慮のなさが、そのままわれわれの恐怖に満ちた社会であり、環
境を破壊する行動になるのではないでしょうか。

そうではなく、子どものしたがることの中に、その子の理解と愛を花開かせるも
のがあります。それで育った大人が作る社会は、より理解と愛に満ちたものにな
るでしょう。

子どもは植物を育てたり、動物を飼ったりしたがります。
何かをじっと観察しています。
一人でなにかに熱中していたかと思うと、完成度の高い絵を描いたり、工作をし
たりしています。

そういうことは、それ自体が目的であり、賞をとるためでも、罰せられないため
でもありません。このようなことに打ち込むとき、人間は恐怖から解放されてい
きます。

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古山明夫

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