古山です。
自分の小学校低学年の時代を思い出します。
よくなんとかなったものだ、と思います。
不登校すれすれでした。でも、当時は「
ことは誰も頭に浮かばない時代でした。
それは、見知らぬ外国の街中に、
ものした。そして、泣いてはいけない、不満を言ってもいけない、
なぜか深くすり込まれています。
学校では、
できません。
幼稚園でも、学校でも、先生や同級生が何を言っているのか、
せんでした。言っていることの、字面の意味はわかるのです。
図があって、
けど、とにかく頷いておいて、あとは、
た。
同級生たちがきつい子が多くて、つらかった。
ぶ連中。
外国の街に放り出されて、チンピラたちに取り囲まれている感じ。
でも、親には言えない。どうしてなんだろう。とにかく言えない。
1,2年生の時の担任の先生は好きでした。
厳しい叱責や体罰はなかった。でも、
でなければいけませんよ」
それはもっとも落ち着きがない子どもたちのために発せられたもの
まじめで気の弱い子どもは、数々の「こうしてはいけない、
い」に呪縛され、萎縮していたのだと思います。
いちばん怖かったのは、宿題をやってこないことと、
した。
子どもへのあたりはきつくないけれど、教室秩序維持のために「
は確実に押さえる先生だったのだろうと思います。
でも、おもしろいさやノリで盛り上げるタイプでもなかった。
最近、算数の「寺子屋しおみ」をやっていて、「
学校には行けない」というお子さんに二人出会いました。
たぶん、あの時の私と同じような状況だったのだろうと思います。
でも、とにかく、私は学校で耳を閉ざさなかった。
先生の言うことを、一言一句逃さずに聞いていました。
だもので、成績はだんだん上向いてきました。
今から思うと、それは奇跡のように思えます。
あれだけつらい学校生活でも、耳を閉ざさなかったこと。
多くの子どもたちが、先生がしゃべっていることに耳を閉ざし、
ようになっています。学力不振の直接原因は、たいていこれです。
先生がしゃべり始めると、
私は、大学生になってから、それを体験しました。
ああ、そういうことだったのね、お勉強ができないということは、
ました。