古山です。
私の小学校低学年の頃のことを書きました。
よく、なんとかなったものだと思うのですが、
じゃないか、というのが二つあります。
一つは、人間一人一人に配信されている「音楽のようなもの」
いたこと。
もう一つは、環境の変化、特に親の態度の変化でした。
環境の変化のほうは説明しやすいです。
1年生の後半か2年生になったくらいのとき、疲れやすく、
りました。胸のレントゲンで、影があるのがみつかりました。
とたんに母の態度が変わりました。食生活で、
注意を向けるようになりました。いたわってくれる態度が、
母は、日常をやりくりするので精一杯でした。
そのころ、家庭の状況が複雑でした。
精米屋をやらせるために、母は夫と子どもを連れて、
んでいました。私の妹も生まれていました。
弟、子どもたち、夫が母一人の愛情にぶら下がろうとする。
も愛情を出さないようにして、愛情の奪い合いを防いでいた。
とじゃなかったかと思われるのです。
ガスも、冷蔵庫も、洗濯機もない時代です。
な労力だったと思います。そこに、商売の手伝いまであった。
その環境が変わりました。弟を見合いさせて結婚させ、
もとの家に戻ってきました。家族水入らずの生活が始まりました。
になったくらいのときです。
母が安心できたのだと思います。私が明るくなって、
した。
3年生のクラスになって、友達ができました。歯医者の息子で、
と口と頭がよく動いた。この子とツルむのが楽しかった。
びを教えてくれました。それから4年間同級でした。
結核も自然治癒しました。
それがちょうど、私が、シュタイナーの言う「9歳の危機」
この時期、大きな孤独感がやってきます。
それまでの年齢は、基本的に親からのケアだけでよいのですが、
と、それだけでは足りなくなる。家族のケアも大事ですが、
間なら波長が合う」という人が必要になります。
いいです。
そうすると、その子のもっとも基本的なところが安定して、
ものがたくさん見つかるようになります。
そのキラキラしたものを追いかけている中で、その人らしさや、
なものが伸びていきます。
