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学校教育とホームエデュケーション

ホームエデュケーションは、根本的なところで、公立学校と教育目的が違うとい
うことを感じます。

現在の学校は、つまるところ、職業に就いて稼げる人間を育てようとしています。
能力の高い人間となって社会に出れば、幸福になれるであろうと。
休まないこと、仕事を家にまで持ち帰ることが、学校では重要なことと思われて
います。
達成することに大きな力点があるから、必ず優等生と落第生ができます。

ホームエデュケーションは、充実した生き方ができる人間を育てようとしていま
す。

本人のやりたがることが、学びの柱です。座学とテストで教えられることは、狭
い範囲のものです。

目的意識を持つとエネルギーが湧く、と学校では言われます。しかし事実は、エ
ネルギーがあるから、目的意識が湧いています。子どもに目的意識を注入しよう
としても、そううまくいくものではありません。

今の時代は、たくさんの知識、情報、文化的催しが発信されている時代です。学
校に行かないと文化らしい文化に触れることのできなかった時代とは違います。

判断する、工夫する、事物がどうなっているかを知る。
それらは遊びの中にあります。遊びでこそ、身につくものです。

子どもたちは、自然に芸術を楽しむようになるものです。人生の苦難を乗り切る
力が、芸術の中にあります。芸術は、考えや感情が混乱したとき、別の次元の秩
序を示してくれるのです。

生きる力が、自然の中にあります。自然は接しているだけで、力が湧いてきます。

親切な大人たちが、この社会にたくさんいます。そういう人たちとの付き合いか
ら、子どもたちは多くを学べるでしょう。

そういう「生きるアート」(アートには芸術という意味も、技術という意味もあ
ります)を身に着けることが、ほんとうに学ばなければならないことだと思うの
です。

子どもが何になるかを心配する必要はありません。
子どもは、なるべきものになっていきます。

その人がどのように生きたらいいのか、どのような人生設計をするのか、その人
自身の魂とでもいうか、霊とでもいうか、そういうものが、いつも護っています。
それは年齢に関係ありません。
この護りは、言葉や命令、はっきり見えるビジョンのような形をとることはめっ
たにありません。おおむね、どんな出来事が起こるか、どんな出会いがあるか、
そういう形でサポートしています。本人が、自由意思によって人生から学ぶこと
が大事だからです。でも、いざというときには、人生に介入してきます。

ちょっと、常識を離れた話ですみません。私には、そうとしか思えないのです。

根本的なところでは、学校、家庭はどうでもよいのだと思います。利己的になら
ずに生きられる場が、よい学びの場です。利己的であるというのは、自己防衛の
ためにエネルギーを使っているということです。

遠くない将来、学校も、生きるアートのための学校になってくると思います。そ
こでは、学びと遊びをはっきり区別することができないでしょう。

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古山明男

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古山明夫

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