ホームエデュケーションは、根本的なところで、
うことを感じます。
現在の学校は、つまるところ、
能力の高い人間となって社会に出れば、幸福になれるであろうと。
休まないこと、仕事を家にまで持ち帰ることが、
います。
達成することに大きな力点があるから、
ホームエデュケーションは、
す。
本人のやりたがることが、学びの柱です。
い範囲のものです。
目的意識を持つとエネルギーが湧く、と学校では言われます。
ネルギーがあるから、目的意識が湧いています。
としても、そううまくいくものではありません。
今の時代は、たくさんの知識、情報、
校に行かないと文化らしい文化に触れることのできなかった時代と
判断する、工夫する、事物がどうなっているかを知る。
それらは遊びの中にあります。遊びでこそ、身につくものです。
子どもたちは、自然に芸術を楽しむようになるものです。
力が、芸術の中にあります。芸術は、考えや感情が混乱したとき、
序を示してくれるのです。
生きる力が、自然の中にあります。自然は接しているだけで、
親切な大人たちが、この社会にたくさんいます。
ら、子どもたちは多くを学べるでしょう。
そういう「生きるアート」(アートには芸術という意味も、
ります)を身に着けることが、
です。
子どもが何になるかを心配する必要はありません。
子どもは、なるべきものになっていきます。
その人がどのように生きたらいいのか、
自身の魂とでもいうか、霊とでもいうか、そういうものが、
それは年齢に関係ありません。
この護りは、言葉や命令、
たにありません。おおむね、どんな出来事が起こるか、
そういう形でサポートしています。本人が、
が大事だからです。でも、いざというときには、
ちょっと、常識を離れた話ですみません。私には、
根本的なところでは、学校、家庭はどうでもよいのだと思います。
ずに生きられる場が、よい学びの場です。
ためにエネルギーを使っているということです。
遠くない将来、学校も、
こでは、学びと遊びをはっきり区別することができないでしょう。
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古山明男