この週末に甥がやってきました。
27歳。小学校5年生からホームスクール。
私の妹の息子なのですが、
とうちに転がり込んでいました。
いまは就職して、つくばに住んでいます。
がほとんど実家です。
大学と大学院がうちから通えるところだったので、
同居人をやっていました。
いま暮らしている彼女と、秋に籍を入れるという。
「これかい?」と私が、お腹が大きくなった仕草をしたら、
した。ま、なんだか理由を言っていたけど、忘れました。
ようするに、よく気の合っている彼女です。
しっかりした社会人になっていました。しゃべり方も、
り立派な社会人でした。
中学と高校は、みんなパス。
スケボーをやりまくっていました。昼夜は、まったく逆転。
高卒認定を取って、AO入試で日大の物理学科に。
そのまま修士まで終えて、
に就職し、エンジニアをしています。
車が大好きで、今も一般開放のレース場で走っています。
仕事にできた。
きれいなものを持っている子でした。打算や悪意のない感じ。
それを、社会人になっても、そのまま漂わせていました。
スクールをやった甲斐はあったかな、と思いました。
学歴や就職についていえば、学校に行っても行かなくても、
たろうと思います。
大学を卒業するときに甥に「ホームスクールはどうだった?」
は「まあ、(学校に行っていたのと)変わらなかったんじゃない。
あ、そうだろうなあ」と私。
数学と物理は、ほんとうに本人がおもしろがってやっていました。
ムスクールでよかったと思います。学校に行っていたら、
う。
だからと言って、
い点を取って喜んでいる程度だった。
ちょっと天才的なものの芽は見えかけたけど、育てきれなかった、
私に残っています。それは、書物や訓練の次元ではなく、
られないものです。
こうもできたなあ、それが一番大事なことだったのになあ、
ほんとうは甥のことが可愛くて可愛くてたまらなかったのに、
本人がムスッとしてゲーム機をいじっていれば、
週に一回は授業する時間を作って、
授業になるわけでもないし、嫌がるわけでもない。
まま過ごしました。
が...。
ほんとうは愛し合っているのに、
生活をしているご夫婦がいるものですが、そんな感じかな。
もう一つ。
とにかく、もっといっしょに遊んで遊んで遊びまくるべきだった。
私は、自然流で行くつもりでしたが、やはり何かと打算が入る。
のだけれど、これは知識として役立つだろうとか、
んなことが、どうしても頭をかすめる。
甥とホームスクールを始めるとき、これから、
思っていました。ところが、それから、
私の人生でもっとも忙しい時期と重なりました。
けっきょく、放任に近い状態になってしまいました。
っと授業めいたことをして、というふうでした。
釣りや、プラモ作りや、麻雀や、バードウォッチングだったのに(
ふだんの何気ない戯れ。
なんのためでもなく、ただいっしょに生きて、
その中に宝物があります。
その宝なしに、たいしたことはできないものです。
愛せるときに愛する。
戯れられるときに戯れる。
それが、どれほど大切なことか。
と、甥が現れたもので、ちょっと昔を振り返ってしまいました。
古山明男
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