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書くことについて

私が、幼稚園か小学1年生のとき、桐のタンスに鉛筆で「あ」という文字を書き
ました。なんだかそうしたくなったのでした。強く書いたので、柔らかい桐には
彫り込みができました。いまでも、力を込めてくぼみを作った感覚を覚えていま
す。「あ」は曲線が複雑に交差しますので、それをうまくやるのが、曲芸をやっ
ているような感覚でした。一面では曲線でしかないものであり、一面では字であ
ることが、おもしろかったのです。

桐のタンスに彫られた「あ」は、消しようがありませんでした。
そのタンスは日用だったので、よく目立ちました。その「あ」を見るたびに、恥
ずかしい思いをしました。でも、その字を書いたことが、記憶によく残りました。

あれは、なぜそうしたのだろう。

なにかしら、その字をよそよそしいものにしておきたくない、自分のものにした
い、そんな衝動だったように思います。

字を書くことは、意思と深く関係しています。
この意思というのは、手足を使って行為することです。
自分の意思で、モノに形を刻み込んでいったときに、自分のものになります。

シュタイナー教育が、文字を教えるときは書くことから入っていきます。これは、
意思の重視です。

私は、学校に行っていない子で字が読めない子に出会ったことはないのですが、
字が書けない子にはたくさん会いました。読むのと書くのでは脳の使っていると
ころが違うようです。

書くのは意思の行為として習得するのであり、見ているだけでは身につかないの
でしょう。

学校での漢字練習でも、回数だけ書かせるのは、なかなか覚えません。
機械的に「20回書きなさい」という練習のさせ方は、よくないです。

でも、もともとは、文字を書くのは、子どものやりたがることの一つではないか
な、と思います。桐のタンスに鉛筆で字を書いた感触は、悪くないです。

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古山明夫

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