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学校に行かないころ

最近、まだ学校に行っていないころ、そして学校が休みのときなど、自分の生命
感覚のままに生きられた日々のことを想い出します。。

朝起きて、両親が家事をごちゃごちゃとやっています。その両親に「ねえ、ね
え」と話したり、からみついて遊んだりする。
朝飯を食べる。

父が出勤し、母が洗濯などの仕事にとりかかります。。
自分も、きょうは何をするか、ふっと浮かんできて、その遊びを始める。
いくつかレパートリーがあって、そこから思い浮かぶものをやっています。

午前中はたいてい室内での遊びでした。
積み木で建物を作る。
いろんなものを畳のへりにずらりと並べて、列車に見立てる。
お気に入りの絵パズルがあって、一つ一つのピースを見れば、それがどこのパー
ツなのかわかるほど、やり込んでいた。
ストーリーのある絵を描く。
などなど
二日続けて同じものということはない。ときどき、何か新しいレパートリーが増
えます。

昼食を食べたあと、午後はたいてい庭に出て行って遊んでいました。
砂場で穴を掘ったり、山を作ったり。そこに水を流し込んだり。
虫を捕まえる。
植物で遊ぶ。実を集める。
木に登る。
いろんな道具をいじる。
工作をする。
などなど。

ときどき、箱や椅子を置いて毛布をかけ、自分の家を作ってしまいます。押し入
れの中に閉じこもるときもある。そこには自分の空想の世界があって、ほんとに
安らぐことができるし、空想の冒険の旅があるのでした。

たいていは一人で遊んでいました。友達の必要は感じなかった。
まだ、幼稚園に通うことが広まっていない時代でした。幼稚園に1年だけ在籍し
たけれど、楽しくなかった。登園拒否をずいぶんやりました。家でこれだけ遊べ
ているのに、もっと楽しい遊びを提供してはもらえませんでした。

ときどき母が、友達ができるようにと同年齢くらいの子のいる家に連れて行った
けれど、波長の合う子がなかなかいませんでした。ほんとに遊べたのは、トシエ
ちゃんとだけだった。この子とだと、内面世界を共有できる感じでした。いっし
ょに積み木ができました。
私は、一人遊びが中心の子だったのですが、鬼ごっこ、かくれんぼみたいなこと
は、やはり楽しいから、やっていました。

学校に行かされるというのは、この楽園から追放されることでした。
あの時代は、学校に行くことは絶対でした。行くしかなかった。

でも、内面までは売り渡さないぞ、みたいなことを決めていて、「勉強」めいた
ことは一切拒否していました。学校に通いつつ、自分の世界をいかに確保して、
そこで遊ぶかでした。
自分でいろんなものに興味を持ち、いじり込んでいると、学校で教えられること
はたいていはすでに知っていることでした。あるいは授業中だけで十分なもので
した。成績はすばらしかったらしいけれど、そんなものに関心はなかった。
ほんとうに大事なことは、積み木や、工作用紙や、昆虫や、土や水の中にありま
した。そこに住んでいておもしろがっていればすべてはわかります。

高校から大学へと進学するうちに、プレッシャーに負け、人並みに勉強するよう
になりました。なにかの獲得を目指し、他人との比較で生きるようになりました。
そして、人並みに不幸になりました。

あの、興味関心がとめどなく沸き起こり、時間など感じなかった子ども時代。
それをカリキュラムと点数の中に閉じ込めて、どうしてまともに教育をすること
などできるのでしょうか。

私は28歳で会社を辞めました。
大きな志を持っていました。世間などすべて振り捨てて、あの、一人遊びの楽し
い世界に戻りたいと思ったのでした。その世界に住んでいた歴史上の天才たちも
います。誰かができたなら、自分だって可能性はある。

そんな単純には戻れませんでした。目的意識や、努力だけで戻れるような世界で
はなかった。というより、目的意識では無理なのです。
いったい、人間はどうなっているのだ。生きる力は、どのようなものなのか。
それを探るうちに、教育に関わっていました。

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古山明男

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古山明夫

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