古山です。
子どもは愛のあるところで育てる。
けっきょくは、そういうことだと思います。
学校には、いろんなものが揃っています。タダで子どもを預かってくれて、いろ
んな物事も教えてくれる。ありがたいことです。
ところが、学校には大きな問題があります。子どもの能力しか見ていないことで
す。そうすると、子どもがなにか違和感を感じ、居心地の悪さを感じるのです。
親が子どもを育てるときは、能力しか見ていないということはありません。子ど
もを人間全体として見ています。
自分のことを考えればよくわかるのです。自分のことを丸ごとわかってくれる人
がいる、と感じていると、いろんな心配や恐怖から自由でいられるのです。意欲
的になろうと思わなくても、おもしろいこと、取り組みたいことが現れてきます。
決して、学校のすべてが問題だとは思いません。いい学校もありますし、いい先
生もいます。学校に行かせなければそれでよし、ということでもないと思います。
でも、親のしっかりした配慮のもとに置いて、子どものやりたがることを中心に
していたほうが、しっかりしたものが育つ感じがします。
じゃあ、愛って何?
わかりません。愛は言葉より大きいから。
あえて言葉にすると、生命の原理のようなものではないか。生命のあるところに
は、どこにでも流れています。誰だって、愛そのものです。
私の場合、「こんなことになっちゃった」「どうしよう」に入れ込むのをやめて、
瞬間瞬間の感覚の中に飛び込んでいって、痛かろうが混乱してようが、そこにあ
るものならばなんでも感じています。そのうちに、すうっと愛のようなものが流
れ込んできます。自分でどうこうできることじゃないから、確率の問題ですけれ
ど。
愛というのは、でっちあげのなさだと思います。でっちあげのなさの中で、本来
のものが動き出すのかと。
愛は、ただある。それに気が付くだけ。
賢者たちがそういいます。
実際に探求してみると、どうもそうらしいです。