ある、公立学校の先生も、シュタイナー学校の先生もしたことがある人が言って
いました。
「何教育ということに関係なく大事なことがある。それは、子どもが取り繕わな
くて済むことだ」
私自身、外面的には優等生でした。
しかし、学生運動の嵐が吹きすさぶ大学に入って、個人的にも困難な状況、に出
会ったら、自分の中は子鬼やら悪魔やらの魑魅魍魎がたくさんいるだけでした。
不安、恐怖、虚栄、怨恨、.....
「ほんとうに教育されなければならないのは、この部分なのだ」
とつくづく思いました。人の幸せや能力に直結しているのは、この部分なのだと。
そうなってしまうのは、本当は脅しと競争で成り立っているのに、取り繕うやり
かたばかり教えている教育にある、と思いました。
この世の中は善でできている。ほんとうに親切は人はいる。
この世の中に美しいものがある。
探求には価値がある。
そういうことを実感できて育ったときに、ほんとうに社会の荒波の中でも生きて
いける子どもが育つ。
それが教育なのだ、と思うようになりました。
古山