古山です。
いまの義務教育は、教育というよりお役所仕事です。出席や卒業の形式を整える
ことが至上目的になってしまっています。
教育することが卒業証書を得ることにすりかわった。
学ぶことが、教室に座っていることにすりかわった。
憲法の言う「義務教育」は、保護者が子どもに教育を受けさせる義務です。
そこには、学校に行けとは書いてない。
ところが、現実には、ものすごく狭い教育方法しかしない学校が一種類だけあっ
て、そこに行かせろという下位の法律があります。
そこに無理に行かせるから、子どもが嫌がる、落ちこぼれる、行かなくなる。
そういう子どもがたくさん現れます。
日本の学校は、そのことに学びませんでした。自己改革をしませんでした。何が
教育であるかを考え直さなかった。「どうやって来させるか」だけ考えていまし
た。
学校が自己改革できるシステムができていない。訓示を垂れ、標語を掲げること
しかできない。
誰もが「個人的はおかしいと思うのですが」というしかなかった。
結局「保健室もあります」というレベルでしか手を打てななかった。
学校は出席至上主義です。学校で何も学んでいなくても、学校でいじめられてい
ても、出席しなければいけないのです。
教室にいられないなら、保健室に。
学校の中に入れないなら、せめて校門まで。
毎日が無理なら、週1回でも。
「来させる習慣を作る」
「机に向かう習慣を作る」
ほんとうに、そういうことに意味があるのですか?
ロボットを作りましょうと言っているだけです。
教育は難しくないです。
子どもには、好奇心があるし、ともだちがほしいし、活動意欲があります。
家庭での生活を充実させることのなかに、すべての学びがこもっています。
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古山明男