古山です。
ホームスクールをやっていると、どうしても学校のことを意識して、学校とは違
って子どもがこんなことが出来るようになった、ということに目が行きます。
もちろん、そうなんです。いずれ、世の中で生きていくのに最低限のことはでき
てほしいし、学校では不十分なものがホームスクールで伸びてほしい。当たり前
ですよね。
でも、でも....。
そういう発想は、生きることと育つことの最も大事なところからは、ちょっと外
れた周辺のことだと思うんです。
「~ができるようになる」じゃなくて。
稼ぐ能力でもなくて、自立でもなくて、市民意識でもなくて、....
イメージでいえば、「家族で心の底から笑って生きる」ことがホームスクールだ
と思うのです。
それは「心の底から悲しむこと」であったり、「心の底から美しいと思うこと」
であったりするかもしれません。なんであっても、起こることと、生きることへ
の深い信頼のようなもの....
甥とホームスクールをやっていたとき、やはり自分の肩に力が入っていないつも
りで力が入っていた、と今になると思います。
なんか、遊ぶのも教えるのも「このくらいのことは、やってあげなきゃ」意識が
脱けないままでね。
そうじゃない、なけなしの時間は、カミシモを脱ぎ捨てて取っ組み合いをしたり、
おいしいモノを作って食べるのに使うべきだった。
というようなこと、後悔せずに想いだすことができるトシにもなりました。
思い起こすと、楽しいこともいっぱいありました。
キャッチボール、けっこうやったなあ。自分の健康にとてもよかった。
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古山明男
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