古山です。
人間の善良さは、無理強い、訓練、プロパガンダや教化によってはどうしても育
ちません。善良さは、天真爛漫さとも言っていいものです。
子供がニコニコっとして「ねえ、ねえ」と声を掛けてくる。
大人が疲れたときに、「だいじょうぶ?」と顔を覗き込んでくる。
そんな感じのことです。
なんの作為も下心もない。
善良さが育つのに、特定の講習も、教師も聖職者も必要ありません。
善良さは開花するものです。ご褒美や罰では育ちません。恥や恐怖では育ちませ
ん。子供たちと生活そのものを楽しむときに、花開いてきます。
この善良さは幸福感と同じものです。
それはまた、社会性そのものでもあります。
幸福な人間は人と気持ちを合わせやすいです。
現実的には、善良さを育むのは、子供の衣食をケアし、恐怖をケアすることから
始まります。
有り難いことに、われわれは衣食が足りた社会にいます。
ところが、大人達は恐怖のケアの仕方を知りません。自分の恐怖すらケアできな
いのです。
なんらかの恐怖に訴えて子供のしたくないことをさせるのが教育である、と信じ
られている社会にわれわれはいます。われわれはそのような教育を受けました。
そのためわれわれは、多くの恐怖を抱え込んでいます。
恐怖から抜け出す道は、実践的な方法がいろいろ開発されています。
いろいろありますので、合ったものをやっていくことができます。
私がやってきたのは、自分の中に、また子供たちの中に恐怖を感じ取り、それを
慈しむことでした。
「自分はできてない」と嘆く瞬間に、それじゃ自分が可哀想だからと、できてな
い自分を慈しむ。
「この子はこれができない」と言う前に、その子の恐怖を感じ取る。
いまこの瞬間に自分のしていることが、愛から発しているか、恐怖から発してい
るか、それに気づくだけのことなのだと思います。
単純です。
この世界は美しいし、生命あるものは愛に感応する。
学校に行かなくても平気ですよ。
学校より高尚なものは、この世界にいくらでもあります。
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