古山です
われわれは、好きでやっていることを「遊び」と呼んで、
るかのように考えてしまうのです。嫌々やったことのほうが、
こまされています。とんでもない。
利害や打算を超えたエネルギーがこもっているものを、
んでいるのです。
子どもたちが何気なく遊んでいることの中に、
学校の授業がつまらなくて、手いたずらをしている子がいます。
手いたずらには、どういう喜びがあるのでしょうか。
子がいます。そのときその子は、窓の外に見えるものから、
をしているのでしょうか。
このようなことを理解することの中から、
す。親にとっても子にとっても、大きなエネルギーになるのです。
それは、単に「なんでも好きなことをするのを奨励する」のと、
います。違いというのは、そこに、理解と共感があることです。
「なんでも好きなことをするのを奨励する」だけなら、
理解と共感があるとき、子どもはすごい力を発揮してきます。
しかし、もちろん、
簡単なことではありません。なかなかわかりません。ですから、
をわからないままにして、安易な結論に走らない、
す。そのうちに、「理由はよくわからないが、
肌で実感できる」というふうになってきます。
後になります。
人間は、とても不思議ないきものです。
理解しようとする意識が届くだけで、変化が起こってくるのです。
自身の中にでも、他人に対しても起こります。
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