エッセー
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古山コラム
国家教育と、私教育
古山です。教育を大きく二つに分けると、国家教育と私教育になります。国家教育は国家を維持、発展させる人材を育てようとします。19世紀後半以降に盛んになり、国が管理した教育が義務化されています。私教育は、一人一人の生きる力を育てようとします... -
古山コラム
お父さん、だいすき
古山です。私の元生徒が、「息子がはじめて字を書いた」と、子どもが書いた手紙を持ってきてみせてくれました。そこには、「おとうさん だいすき」と、書いてあります。つたない線がのたうっている。大きさもバラバラ。でもたしかに「おとうさん だいす... -
古山コラム
一人一人の色彩というかメロディーのようなもの
古山です。どの子も、かわいくてたまらない、というトシになりました。どの子も、見ているだけで、いいなあ、かわいいなあ、と感じます。自分が子どものときは、こうではなかった。あの子は暴力的だ、あの子はコス辛い、あの子は自己中心だ、ということが... -
古山コラム
一つ一つ完璧にしていく教育ではなく
古山です。昨日、首藤さんの「読み書き遊室」を開催しました。首藤さんは「子どもに強制しない」ことを基本方針にして、言語教育に取り組んで来た人です。昨日は自分の名前でカードを作り、それをカルタにして遊ぶというものでした。首藤さん、子どもたち... -
古山コラム
教えるべき唯一のこと
古山です。人間として、子どもに教えるべき唯一のことは、「人を幸せにすること」だと思います。これは、実際に子どもを幸せにすることによって、教えます。言い聞かせて教えるのではなく。われわれがすることを、子どもはします。子どもに「ああしろ、こ... -
古山コラム
興味関心で学ぶのがよい
古山です。衝撃的な本に出会いました。「AI vs 教科書が読めない子どもたち」 新井紀子著おかげさまで、子どもの興味関心を柱にする教育は正しい、ということを確信できました。ホームスクールはものすごい可能性を持っています。この本に書いてあること... -
古山コラム
強制的な教育を行うことではなく
古山です。子どもを教育する義務があるということと、子どもに強制的な教育を行うということは別のことです。でも、教育義務があるというのは、子どもが嫌がっても勉強をやらせることなのだ、というような考えが広がっています。実際の教育は、子どもの側... -
古山コラム
子どもにキラキラして見えるもの
古山です。子どもたちは、誰に言われたわけでもないのに、絵を描き、物語を作り、工作をしています。教育上、これを支援し開花させていくことが、もっとも価値あることです。私たちは、一人一人がギリシャ時代のスパルタのようにみんなが強い戦士になるこ... -
古山コラム
教育の画期的イノベーション
古山です。「教育×破壊的イノベーション」(クレイトン・クリステンセン)という本を読んでいました。画期的な技術革新は、需要などなかったところから生まれてくる。たとえば20世紀の末頃、コンピューターは大型のものが主流で、「どのようなコンピュー... -
古山コラム
子どもをかまうこと
古山です。 子どもたちを見ていると、子どもたちが大人にしてもらいたい最大のことは、「かまってもらうこと」なのだと思います。 ちょっかいを出す、逃げる、追いかける、不意打ちする、隠れる、こちょこちょする、などです。 考えてみると、これは、...