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生きることは学ぶこと

古山です。

雨音がします。エアコンと扇風機の風音、そして涼風。

ちょっと考え事をしていた。そうしたら小さな悲しみがやってきた。じきに消え
ていった。

いつも「これは良い、あれは悪い」と言っているものが、結論に走るのをやめて
いる。いまは、注意力のオーラみたいなものになって、身体の内外に広がってく
れている。そうしたら、意識の流れが、いちいち検問にひっかからずに、流れて
いく。
外に起こっていることも、身体の中に起こっていることも。

なにやら、美しいものがふうっと感じられた。通り過ぎた。心にあったの? 空
気の中にあったの? わからない。

いま、こんな感じなんです。これは子どものときに生きていた世界そのものです。
子ども時代にワープしたような気分です。次から次へと、意味に満ちたものがや
ってくる。それは虫や空き缶のような実際の事物であることもあります。気分、
感情であることもあります。
それと共に流れ、流され、匂いを嗅ぎ、手に取り、いじり...
人を相手だったら、ともに戯れる。
それが生きることであり、学ぶこと。

知恵のうち半分は、身体の中に現れてくるものへの感受性です。子どもだったら、
身体が自然に動きます。歌ったり踊ったりします。素晴らしい、興味深いと感じ
るものを、絵に描きたくなります。

学ばないときは、恐怖があるため。
身体が緊張し、目に見えない自動シャッターが耳を閉ざす。
一つの考えにしがみつく。
それは頭が悪いと思われているけど、そうじゃない。恐怖です。

いま、台風の影響の雨で、家の中に雨漏りがしていました。あれ、どこから、ど
うして。修理したらいくらくらいかかるかな。
そういうことに対処し、探ることを教えてくれるのが学校でしょう。
いつのまにか、出席すること、騒がずに椅子に座っていることが教育になってし
まった。
学びの種なら、いつでも、どこにでも、いくらでもあるのに。

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古山明夫

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