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学校と家庭

古山です。

家庭で子どもを育てることの最大の利点は、子どもがくつろいでいることだと思
います。
くつろいでいると、感覚、感情、知性が自然に連動します。

逆に学校の最大の欠点は、子どもが緊張していることです。
学校生活を送ると、子どもたちの多くは、みごとな集団行動を取ったり、その場
その場で期待されていることを敏感に読み取ったりするようになります。
これらは、人間が生きること、社会生活を送る上で、必要な部品です。
しかし、それを権威主義でやっているから、子どもたちが「叱られないか」「ミ
スがないか」の緊張を内蔵しています。

そんなやり方をしなくても、異年齢の集団で遊んでいるとか、おじさんおばさん
たちと入り交じってつきあっているとかで、社会性は十分に育ちます。
なによりも、家族で戯れ、くつろいでいる感じが、人間性、社会性を育てます。

私は、大学生のときに社会的に不適応になりました。
そのとき思ったことです。
自分は、難しい本を読みこなし、数学を使いこなし、外国語も使えるようになっ
た。高校までの学校教育は、そういうものを伸ばしてくれた。しかし、いま、自
分の中にわき起こる、攻撃性、抑鬱感、つい見栄を張ってしまうこと、恨み、は
け口のない性欲、とめどない内面のおしゃべり、そんなものは、これまでまった
く教育されていないままだ。
教育されていないどころが、蔭に追いやられ、魑魅魍魎のようなものになって勝
手にうごめく。

自分の幸福、不幸に関わっているもの、そしてほんとうに、教育の光が当たらな
ければならないのは、こちらのほうなのだ。

それから、この魑魅魍魎たちはいったい何なのだ、という探索を始めました。

そうしたら、いつのまにか、教育の仕事とつながっていました。
いわゆる教育困難な子どもたちを見て、ほっておくことができませんでした。

いろんな子がいて、いろんなケースがあり、いろんな原因がありますけどね。
けっきょく、いま、ここで、次にすることが愛に満ちているかどうか、それだけ
のことみたいです。
いろんなけっこうなことを考えても、なかなかうまくいかないものね。

ほんとうは、意識そのものが光。
その光は、いろんなものに固着してしまって、光であることを忘れてしまってい
る。その原因は、子どもの不安・恐怖に訴えて何かをやらせるから。

そんなに単純化していいのかな、とも思いますが、でも、差し込んでくる日の光、
庭の木々のさやぎが、「そうなんだよ、そうなんだよ」と言っています。、

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古山明夫

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