甥とホームスクールをしていたときでした。
甥は、よく「
「どういうことが面白かった?」
「模型を作るのが楽しかったなあ」
とか
「地下水というのがあるというから、
そんなことを言うと、よく伝わっていました。
いいものは何? 面白いものは何?
何か、積極的な価値のあるものを、子どもは知りたがります。
甥と暮らすようになって、
テレビを見ていたときなど、これはすごいね、
それを口にすることでした。普段だったら、ふんふんすごいね、
ことを、
「この芸人さん、間の取り方がうまいねえ」
「ふうん、見事なものを作ったものだ」
「あの選手、いい判断だったね」
というふうに、言葉にするのです。
これは、本当に感じたことでないといけない。作為があると、
みたいになってしまう。
私の母が、親切にしてくれた人のことをよく話していました。
なかった時代に、ビスケットやお米をわけてくれた人のこと。
だけ取り残されたときに、
れは、母がほんとうに感動していたことでした。
母は、「グラジオラスが今年も咲いたよ」とか「ほらほら、
メがきて餌を食べてるよ」というようなことを、
とだきれいだ、ほんとだ面白いと見ていました。
観察眼をつけるということは、「きれいだよ」「おもしろいよ」
「観察しなさい」「報告しなさい」ではないのです。
子どもは、真、善、美に対して食欲を持っています。
価の高いものです。栄養価の高いものが日常にたくさんあると、
それを採集し、摘み取って食べてくれます。
古山明男