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子供の飛びおり

古山です
子どもは木登りが好きです。木といわず、塀でも建物でも、よく登ります。

その逆の、飛び降りも好きです。
これも、子どもたちがよくやります。私もよくやりました。階段を何段飛び降り
ることができるか、だんだん高いところからやって、「もうこれ以上は、怖い」
というところまでやります。

なぜだろう? なにがおもしろいのだろう?

木登りは、技術と判断を磨いていくおもしろさがあります。でも飛び降りは、さ
ほど技術はない。

これは、決断力の自己訓練じゃないかと思います。「怖い、でもやってみよう」
という決断力と、「あぶない。やめよう」という決断力。どちらも、生きていく
のにほんとうに必要になるものです。

もう一つ、「身を任せる」感覚を磨くこと。
なにかをやって、ここまでは自分でコントロールが効く、でもここから先は身を
任せるしかない、というところがあります。就職もそう、結婚もそう、事業を始
めるのもそう。
人生に締めくくりをつけたくて悟ってしまうのもそう、愛の中に溶けてしまうの
もそう。

ここに、「受け止めてもらえる」感覚が加わっていると、勇気が湧きます。
高さはどんなに低くてもいいから、腕を広げて「ここに飛び降りてごらん」とや
ってもらえるのは、素晴らしいことです。私は、父にやってもらった覚えがあり
ます。
人の腕の中に飛び降りて受け止めてもらえたときの気持ちよさ。
どんな恋愛より気持ちがいいから。

私は、押し入れの中のふとんを引っ張り出して下に敷いて、押し入れの上の段か
ら飛び降りるのが好きでした。ふわんと受け止められている。いいですねえ。受
け止めるのを他人がやってくれなきゃ、自分でやるさ。
飛び降りには、一瞬で視点が変わるというおもしろさもあります。木登りのほう
は、だんだん高くなって視野が開けていくのが嬉しい。飛び降りは、視野が一瞬
で切り変わるのが嬉しいのです。見えるものすべてがばっと動き、気がつくと違
った視点になっている。
身体ごと視点を切り替えるおもしろさは、後年になって思想、哲学で視点を切り
替えるおもしろさと、共通したものがあると思います。
大人の立場からすると、子どもの木登りと飛び降りを支援するのは、ものすごく
高度なものが必要になります。
大事なのは、子どもが意欲を持つことと、危険を自己評価し自己管理できること
です。結果ができたできないは、さほど重要ではない。

「あぶない、あぶない」とやめさせるのが最悪。
でも、園や学校という立場にいると、万が一のときに責任問題になるから、やめ
させざるを得ない。

「あぶないから気をつけなさい」もよくない。集中力をそぎ緊張させるだけです。

褒めたり励ましたりするのは、ウケねらいで、危ないことをさせる怖れがありま
す。このように、木に登ってしまった子どもへの声のかけ方は、高度な判断が必
要になります。

木登りや飛び降りは、基本的には自己教育に属するもので、課題を与え達成させ
評価する、というサイクルには入れにくいものなのだと思います。
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古山明男

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古山明夫

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