30代のときにインドを旅行して日本に帰ってきたら、
ゴミ一つ落ちていないこと。街行く人たちの服は汚れていなくて、
た服の人などいないこと。なんでもかんでも便利なこと。
でも、人の眼が死んでる。トロン、ボヤン。
あの印象は強烈でした。そうか、これが日本か。
ゃったんだ。
どうすれば整った社会ができるかは、
世界でも稀なくらいです。でも、
てしまっています。
ほんとうにおもしろいことを見つける力は、実は、
る力と表裏一体です。言葉を換えれば、
をつかないと、エネルギーが湧いてくるのです。
子どもはすぐに「退屈だあ」と言い出します。親が「あれはどう?
う?」と言っても、
ころが、ついさっきまで退屈で死にそうだと言っていたのに、
けて、熱中しているのです。これは、退屈を感じる力そのものが、
のを見つける作用をしているからです。空腹を感じることと、
同じことであるようなものです。
私は20代で会社勤めをやめてしまって、
ました。そのときは、まったく退屈を感じませんでした。
の計画でいっぱいになっていて、何も感じないんですね。
不登校で引きこもった子どもたちにたくさん接しましたが、
せん。やがて「退屈だあ」と言い出したら、
何かを自分から始めるようになります。
大人になって、しなければならないことばかりしていると、
そこで、「何かおもしろいことはないか」と、
読んだりします。でも、そうやって真似をしても、
ものです。充実感には、渇きと情熱でたどりつくものです。
子どもは、心にわき起こる興味・関心に従っていて、
こどもに、遊ぶことに罪悪感を感るようにする訓練をするのは、
ているようなものだと思います。
古山明男
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