数日前のことでした。台風が過ぎ去り、秋晴れのいい天気です。
いい天気だな、と窓から見回し、段ボールを重ねて紐をかけ、ゴミ出しの場所に
持って行く。身体がすっすっと動く感じで、「やらなければならない」感があり
ません。
朝の斜光線に木々が鮮やかです。
空気が、静かで美しいものにひたされたている。だから、ただよく眼を見開いて、
全身で感じ取って、生きるだけ。
こういうのが、ほんとうの秩序なのだと思います。
きょうはこれとこれをこなし、~をできるようになり、~な人間になる。
いつも目的をもって努力しているのが正しい。
そういうのは、秩序というより、強引さなのだと思う。監視する者と、監視され
る者がいます。
「あるべきもの」の専制支配。
人間は、そんなちっぽけな設計図でできているのはない。
そうじゃなくて、落ち着いていて、美しくて、明晰なものがあります。それが、
あたりを見たり、物音を聞いたり、息を吸い込んだりすると、ふっと身体の中に
広がるんです。
こどもの時は、いつもこれを持っていたんだよね。
子どもの中には、いつも流れ込んでいるんだよね。
一人一人が、大きな設計図を持っています。
それなのにね....。
教育は、子どもを宿題と勉強と将来の目標の中に押し込めることじゃない。
と、つくづく思うのです。
古山明男