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子供の発達経路

古山です。

ある、算数の得意でない子に8歳くらいからずっと算数を教えていました。

11歳くらいになって、ふつうに式を書いて計算するようなことも、「できた、お
もしろい」と感じるようなところにきました。
学校を嫌がって行かなかった子ですが、この子に学校タイプの勉強を無理させな
くてよかった、と思います。自分は駄目だと思い込むか、学習障害のレッテルを
貼られるかになっていたろうと思います。

マンツーマンで見ていましたので、本人の感覚や発想までわかります。これは教
え方や努力の問題ではない、知性のタイプの違いだ、としか思えませんでした。

算数のような、記号を使いこなすような学習に対して、子どもがいつになったら
成熟しているのか、ものすごく個人差があります。

早い子で5歳くらい、遅い子で11歳くらいと思われます。
(自分の経験と、人からの伝聞をもとにしています。きちんとした研究が望まれ
るのですが、存在しません。)

個性としかいいようのないものがあります。これは、感覚的に物事をとらえる段
階に十分な時間をかけていく子と、さっさと記号に置き換えて考えるところに行
く子との違いだと思います。

良い悪いではなくて、個性です。
早く始めても、遅く始めても、たどり着くところは同じです。
私の甥の場合ですが、物理の修士課程まで終え、高等数学を使いこなしています。
いま、エンジニアをやっています。
これが、小学生のとき、お世辞にも算数が冴えた子ではなかった。割り算の「立
てる、掛ける、引く、降ろす」の手続きがなかなか覚えられない、ごく普通の子
でした。

ホームスクールになり、中学生の年齢のとき、方程式のイロハを教えようとした
ら、「どうしてエックスを使うのかわからない」ととことん抵抗しました。教え
ようがなかった。

文字式を使うようになったのが17歳です。それからは、あっという間に高校を超
えたレベルまで行ってしまいました。要所要所を私がちょっとは教えたのですが、
ほぼ本人が勝手にやりました。

ただ、甥の場合は、知性のタイプは数学向きだったと思います。「これは、こう
なっているからこうするんだ」と考えるのは自然にやっていました。学校という
場になじめなかったようです。まず、十分に遊びこんで、自分の感覚で動くこと
が自然になって、それからのことだったように思われます。
いま、世間では、小学校各学年でつまづいたらもうだめ、と信じられています。
それは、間違いです。学校の体系が、「この列車にしがみついているしかない」
ように作られている、というだけのことです。
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古山明男

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