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勝手にやらせて」モードと「かまってほしい」モード

古山です

子どもに「勝手にやらせて」モードのときと、「かまってほしい」モードのとき
があります。

幼児のときから、子どもは一人で何かをシコシコとやっていたかと思うと、とき
どき母親のところにやってきて、甘えたりグズったりおしゃべりしたりします。
この一人でシコシコやっているときが「勝手にやらせて」モードで、母親のとこ
ろにやってきて搦んでいるのが「かまってほしい」モードです。

この「勝手にやらせて」モードのときに、自主性が育っています。このときはア
ドバイスをしないことです。
「かまってほしい」モードのときに社会性が育っています。相手をしてやること
です。

子どもを観察していると、この二つのモードの間を行き来していることが、わか
ると思います。

この二つのモードに沿って対応していると、子どもと噛み合えている感じがしま
すし、労力は最小限ですみます。

「勝手にやらせて」のときにアドバイスされると、それが親切で的確なものであ
ったとしても、集中の流れがかき乱されるものです。子どもはブスッとしてそっ
ぽを向いたり、「うるさい」と嫌がったりします。そのときに「ああ、この子は
なんでも一人でやりたい子で、いっさい口出ししてはいけないのだ」と思いがち
ですが、そうではないのです。そのときはそうだ、というだけなのです。

「かまって」モードのときは、とにかく相手をしてほしい。こちらが忙しいとき
にかぎって、搦みついてくる。「この子は甘えん坊で、依存心が強くて」と見え
るものですが、これも、そのときはそうだ、というだけです。

学校に行っていますと、この二つのモードのリズムは、はっきりしていません。
しかし、ホームスクールの場合は、このリズムを中心に生活が組み立てられてい
きます。

よく「学校に行かないと社会性が育たない」と言われるのですが、そんなことは
ありません。学校が教えている社会性は、集団ルールを読み取って合わせること
ができるか、ということでして、浅いレベルです。何歳でも身につきます。

いわゆる「社会性がない」状態は、その子が不安と恐怖にとらわれていることを
示しています。学校に行ったから、行かないからという単純なことではありませ
ん。

深いレベルの社会性は、共感能力を基盤としています。そこから、すべての社会
性が発達してきます。それが育っているのが「かまって」モードのときです。こ
のとき、子どもに対して愛と親切をつくすのが、教育の真髄だと思います。

もちろん、日々の生活でいつも子どもときちんと向かいあうのは無理でして、出
来うるかぎり、ということですが。

学校の先生が、子どもの「かまってほしい」モードに、授業を通じてでも休み時
間でもいいから応えてくれているなら、それはいい学校だと思います。しかし学
校の先生方は職務の枠に縛られて、「~をちゃんとしたか、しないか」で子ども
を見ていることが多い。

ホームスクールの最大の長所は、子どもの「勝手にやらせて」モードを尊重でき
ることと、「かまってほしい」モードに対応できることだと思います。その両
モードの行き来を自然にやらせることができます。

 

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古山明男

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古山明夫

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