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無題

「三つ子の魂、百までも」
と言って、脅してでも罰してでも、しつけなければいけないと信じている人たち
がいます。

まちがいだと思います。
後年、子どもの自由を奪います。

脅したり罰したりする必要はないんです。
子どものほうから、合わせてくるものです。

幼児は真似しようとする本能があります。

誰を模倣しようとするか、子どもたちの判断基準になっているのが、「この人は
真心のある人か」、「この人は愛のある人か」です。子どもは、真心や愛を感じ
取る能力を持っています。

大人にとっては、「真心」も「愛」も言葉の問題です。
でも、子どもにとっては、「真心」のある人か、「愛」のある人かを見分けられ
ることは、死活問題です。子どもは、まだ事物の判断能力がありません。だから、
どの人が信用できるかで判断しています。真心があるか、愛があるかを感じ取れ
ることに、生存がかかっているのです。

私は、子どもの時、猫撫で声を出す大人が嫌いでした。本能的に警戒しました。
テレビの子役の演技は、いかにもやらされている感じが強くて、見ているだけで
いたたまれない思いをしました。
学校の先生たちの、マニュアルに従っているだけの行動は、深みがなかった。叱
られないようにつきあうだけでした。
真実味があるということでは、やはり親が信頼できました。
通じる友達は多くなかったけれど、友達から多くが伝わってきました。

子どもをしつけたり訓練したりするものではない。
かと言って、子どもは餌だけで育つ動物というわけではありません。
子どもは、愛のある道を本能的に嗅ぎつけて、そこをたどっていきます。

ただし、2歳、3歳は、どうにも言うことを聞かない時期があります。いろいろ、
小さい子を見ているうちに、これは、育て方の問題ではないのだと気がつきまし
た。
その年齢は、子どもがエンジンやブレーキの使い方そのものを練習している段階
です。とにかくエンジン全開で走りたいとか、とにかくノーと言いたいとか、そ
れだけの理由で、思いっきり主張したり、突っ走ったりします。
個性がものすごくあって、主張が微弱な子もいますし、いったん言い出したらも
う誰もどうしようもないという子もいます。

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古山明夫

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