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子どもにキラキラして見えるもの

古山です。

子どもたちは、誰に言われたわけでもないのに、絵を描き、物語を作り、工作を
しています。教育上、これを支援し開花させていくことが、もっとも価値あるこ
とです。

私たちは、一人一人がギリシャ時代のスパルタのようにみんなが強い戦士になる
ことを目指してはいません。厳格な身分制があって、君に忠、親に孝、女は家事
労働マシンというような社会に住んでいるわけでもありません。

子どもたちには、一人一人として、生まれついて持っているものを、思う存分花
開かせてほしいのです。
それぞれの子どもは、自分にとってキラキラと輝いて見えるものを持っています。
それに触れようとしますし、表現しようとしますし。
それが、子どもが勝手に描いている絵であり、書いている物語なのです。

絵や物語とは限りません。

工作が好きで、いつも何かを作っている子どもたちがいます。
私とホームスクールをしていた甥がこのタイプで、絵はほとんど描かなかったし、
物語はまったく書きませんでした。でも、なにやら、たくさん作っていました。
結局、エンジニアになりました。

身体を動かすタイプの子どもたちもいます。
「森でどんじゃらほい」に来てくれていた大学生がこのタイプでした。スポーツ
がほぼ万能だし、踊ることでコミュニケーションがとれる人ですが、子どもたち
とボールで戯れたり、追いかけっこをしたりするときの間合いの取り方、動きの
きれいさ、ちょっと意表をついて動きをする、そうした中に芸術と言っていいよ
うなものがこもっています。

植物を栽培したり、動物を飼ったりするのに夢中になる子どもたちもいます。

即興劇を作ると、非常に生き生きしている子どもたちもいます。

こういうことをしている子どもたちを支援してあげずに、個性云々と言っていて
もしょうがない。

子どもたちをもっとも励ましてあげられるのは、評価でもない、賞賛でもない、
改良点の指摘でもない、その子にとってキラキラして見えているものが「ああ、
それか」と見えていることです。子どもにとって、理解者がいることが、なによ
りも力になるのです。

学校は、役に立つことをたくさん教えてくれます。でも、一人一人の子どもが何
に心ときめかせているかまでは、わかりません。学校教育がうまくいった場合も、
「なんでもわかっているが、自分が何をしたいかだけはわからない」ことになり
がちです。

ホームスクールは、どんなやり方をしてもいいのですが、子どもにとってキラキ
ラして見えているものを大事にしているのが、ホームスクールの性質をよく生か
していると思います。

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古山明夫

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