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学校の算数の体系を疑う

古山です。

 学校的な算数は、唯一の教え方なのかという疑問を持っているので、研究して
います。数量に対する感覚は子供が自然に持っているものでして、それに比べて
学校の算数の大系はどうも不自然な感じがするのです。

 次の計算間違いは、子供に広く見られます。なぜ、こうなると思いますか?

     53
  ー  47
  ーーーーー
           14

 そうなのです。一の位のところで、下から上を引いています。ほんとうは繰り
下がりをやらなければならないのですが、その替わりに「引き算は大きい方から
小さい方を引く」という手順が発動しています。

 しかし、筆算でなかったらどうなるか、考えてみてください。もし、「53個
のドングリを拾いました。途中でこぼしてしまったので、家に帰って数えたら4
7個しかありませんでした。何個落としたのでしょうか」という問題でしたら、
子供たちは指で数えたり、絵を描いたりして、だいたいは正解にたどり着くこと
でしょう。

 すでに、数量感覚の発達している子ならば、「答えは数個程度であろう。10
以上になるはずはない」とあたりをつけます。しかし、数量感覚のないまま、計
算手順に一生懸命従おうとしている子は、14という答えを出したりするのです。

 14という答えは、筆算をやるから生じる間違いなのです。

 子供がかんたんな(と大人には見える)足し算、引き算をやっていると、大人
はつい、数量感覚に従ってやっているのだと思ってしまいます。しかし、筆算の
体系は数量感覚とは別のものです。筆算の体系は、暗記と規則の体系なのです。
暗記というのは

 1 3+5=8、 12-8=4 などの一桁同士の足し算と引き算の結果を
覚える。
 2 一桁同士の掛け算の結果(かけざん九九)を覚える。
であり、規則というのは

 3 以上の覚えた結果を、位取りの原理と、繰り上がり繰り下がりの規則にあ
てはめる。

ことから成っています。

 数量感覚をすでに持っている子供たちは、「ああ、あれのことなのね」とわか
るので、数量感覚と照らし合わせながら筆算をすいすいこなします。こういう子
たちは「頭がよい」と言われます。

 数量感覚がない子供たちにとっては、筆算は暗記と規則の難行苦行になります。
一生懸命に覚え、規則に従おうとします。しかし、何のために何をやっているの
かがよくわからないので、間違いだらけになります。上にあげた引き算の間違い
は、その一例です。

 筆算が難行苦行になってしまうもう一つのタイプは、大人の言葉がみんな命令
として響いている子供たちです。その子たちの頭の中には、断片的な指示がたく
さん一人歩きしています。そこでたとえば「大きい方から小さい方を引く」が、
ひょいと顔を出したりするのです。「こうやることになっていると思った」ので
やってしまうのです。このタイプも多いです。

 算数の場合、間違いだらけの子を放置すると、「ああ、これは苦手」となった
まま、できるようになりません。だから「やはり勉強は強制しないとだめ」とい
う教訓を大人達に与えることになります。でも「勉強に強制が必要」になるのは、
筆算をやらせるためが最大の要因だと思われます。低学年から、足し算、引き算、
掛け算とそれぞれの段階を完璧に仕上げさせ、そうでないと次の段階で落ちこぼ
れてしまうという教授方法は、罪作りなことをしているなあと思います。

 間違いだらけの子を放置しなかったとして、ふつうの対応法は、たくさんの練
習問題をやらせることです。それによって成功する場合と、失敗する場合があり
ます。

 たくさんの練習問題をやることで習得に成功する子供たちもいます。その場合、
練習量で対応するには、学校の算数の時間では足りなくて、「宿題が必要」にな
ります。

 たくさんの市販のドリル帳が出回ることになります。

 学校では習得できない子供たちがたくさんいるので、「塾が必要」という現実
になります。

 しかし、たくさんの練習問題をやらせることで、失敗することもあります。

 チンプンカンプンのままたくさんの練習問題をやらされたために、「あれをや
ってもバツがつく、これをやってもバツがつく」の混乱状態になってしまう子供
たちがかなりいるのです。そうなると、心理的なシャッターが降りてしまい、算
数を見る気もしなくなりますし、算数を見ただけでまともに考えることができな
くなります。この心理的シャッターは、人間に備わった自動的な防御反応でして、
本人に努力を促すくらいでは、どうしようもありません。

 このシャッターが降りた状態の子供は「頭が悪い」と呼ばれます。しかし、そ
うではありません。「頭が悪い」はずの子供たちの多くが、算数以外のことでは
記憶力もあるし知恵も働くものです。シャッターが降りてしまう子の多くは、
「実感として納得できないことを受け入れるのはつらい」子供たちでして、やり
方だけチャカチャカと身につける子とは違う可能性を持っているものです。

 いまの学校教育の全体が、19世紀~20世紀の工場労働の仕組みを真似て作られ
ています。作業を誰にでもできるような要素に分解してやらせれば、どんな未熟
練労働者でもこなせるようになるという原理です。しかし、これには「何のため
に何をやっているのかわからなくなる」という問題がつきまといます。また「言
われたことしかしない」の温床になります。

 筆算の体系は、工場労働的な教育の典型です。やらせる方からすると「こんな
簡単なことがなぜできないのだ」と思うのですが、子供たちからすると「何のた
めに何をやっているのかわからない」ので、ネジを違う穴につけたり、まったう
違う部品を取り付けたりするのです。

 算数は、子供の自然な数量感覚を元にしていれば、楽しいゲームか、役立つ実
用なのです。あんなに子供たちを苦しめる必要のあるものではありません。

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古山明夫

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