古山です。
グリム童話には、魔法で動物にされてしまった王子さま、
間口をきいてはいけない少女などのように、
者がたくさん出てきます。
こういうお話しを聞いている子どもは、「その立場、わかる。
とハラハラしながら聞いています。何も言えず、
は、まるで我が身のように感じられるのです。子どもは、
んから、自分の想いを伝えられないことが多いのです。
お話しでは、いよいよ危ないというとき、
的な助けがやってきて、困難が解決します。
子どもは、登場人物といっしょに、大冒険を体験しています。
り越えることができる、と言う確信を持ちます。
よいファンタジーは、教訓を残そうとはしません。
積ませているのです。
子どもは無力な立場にいます。私が子どもの時、親に「
という想いをたくさんしました。だから大人になったら、
ようと、心に決めていました。ところがどっこい、
を理解するのはとても難しい。
そりゃきついです。大人の立場もわかるようになりました。
だから、グリム童話のようなファンタジーは、
どもを護ってやりたくても、親はスーパーパワーではありません。
誤解もします、力の及ばぬこともあります。
きれないときの救命ボートを、ファンタジーは用意しています。
童話には悪い親が、これでもか、というくらい現れます。
護が届かないときにどうやって生きたらいいか、の事例集です。
いようにと子どもたちを励ましているのです。
ファンタジーで、素晴らしい知恵が湧き出たり、
とは、とても大事なことです。
こういうものの存在を信じられなければ、
し、閉ざす方向に行ってしまうでしょう。
子どもだけじゃありません。
いま、60歳を過ぎた私は、「小人の靴屋」のお話しが好きです。
皮を裁断だけしておくと、
お話しです。
本を書いていて、行き詰まることが多かったです。そんなとき、
は考えて「もう自分にはわからない」ということを受け入れます。
すると、翌朝、キーボードを打ち始めると、
かなるのです。
夜の間に小人さんたちが働いてくれる、
いま、ちょっと難しい仕事に取り組んでいます。
手上げ。だから、これから寝ます。小人さんたち、大好きだよ。
古山明男