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わからない、ということ

古山です。

 私は、大学生のときに数学がわからなくなりました。

 なにやら複雑な記号が並んでいる。もう、それを見ただけでいけない。ガラガ
ラと自動的に心理シャッターが降りてしまう。
 身体全体が「あ、もうだめ」と反応している。
 見る気も、取り組む気も起こらない。
 それなのに、人と話をすれば、「ああ、あの式は、電磁場の基本的な記述です
よね」と知ったかぶる。

 理系にいましたから、わからないことを取り繕ってなんとかツジツマを合わせ
ていなければならない。悲惨なことになりました。

 この体験があるものですから、教育に取り組むようになりました。

 子どもがそっぽを向いて投げ出すと、「飽きっぽい」だの「やる気がない」だ
の「怠け癖」だのと言われます。そうじゃないんだ、あれにはみんなそれなりの
理由があるんだ、それをぜんぶ子どもの努力不足のせいにしているなんて、なん
という野蛮な教育が行われているのだ。
 そういう思いからでした。

 研究しているうちに、身体で自動的に反応する恐怖があることに気づきました。
 この解明と、対応方法の開発が、自分の研究テーマでした。
 脅しと競争に訴える教育をやめさせなければ、と思いました。

 いくら必要性を説いても、将来のことを言っても、叱っても、ご褒美を出して
も、面白いネタを出してもだめ。
 身体と気持ちをなごませたときにだけ、何かが起こります。

 いまときどき、20歳のときにわからなかった数学に取り組んでいます。わか
れば面白いし、わからなければ「生徒はこういう気持ちでいるんだよな」という
ことが実感できます。

 部分積分をうまく扱えなくて(理工系の人にとっては初歩的なこと)「どっち
を微分して、どっちを積分するんだったっけ」と言っていると、小学生が割り算
の筆算で「どっちを中に書くんだったっけ」と言っている姿が思い浮かびます。
あれと同じじゃないかと。
 こういうのって、混乱しやすいものなのです。
 混乱しているからって、頭が悪いんじゃないんだ。こういうときにこそ、親切
の限りを尽くさなければいけない。
 そうなんだ。
 ほんとにそうなんだ。

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古山明夫

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