古山です。
私が、子どもの教育を引き受け、何を教えるかに自由度があると、
ることがあります。それは、お話しをすることです。
し、即興で作ったお話しをすることもあります。
甥とホームスクールをしたときもそうでした。
ても、寝る前の時間だけは甥の布団の中に入って、
をしていました。(13歳くらいまでですが)
私が子どもの時、父がそれをやってくれていました。
リさんのお話しを即興でしてくれました。
ものすごく広い世界を作ってくれました。
お話しは、子どもの内面を豊かにします。
でもそれだけではない、ファンタジー(空想的な童話)は、
路になります。知恵の宝庫への通路なのです。
自分の体験からお話しします。
私が20代のころ、心理学者のユンクを読んでいたら、ユンクは「
王道である」という。そうか、
う思ったら夢を覚えているようになりました。
初めのうちは、意味がわからないまま、
ってから意味がわかるようになりました。
ユンクとエドガー・ケーシー(超能力者)でした。
そのころ、学校にいる夢をよく見ました。それは、「
る」という意味なのでした。
会社勤めをしていたとき、職場で自分だけ下着姿になっている、
ました。これは、自分の本心のところが、
え見えになっている、という意味でした。
尊敬できる筆者のところに原稿をもらいにゆき、
事から解放された気持ちになった日がありました。その夜は、
て大きな魚がかかる、という夢を見ました。
夢はそうやって、
た。
その頃の私は、自分の考えがすべてだ、
スはすべて聞き流す、という生き方をしていました。
ない。人に不快がられることも多かったし、
は大きな才能があって、
の足下は何も見えていない。いわゆる「自我肥大」
それでも、医者の薬が必要になることもなく、
世話になることもく、自分で出てくることができました。それは、
き合ううちに、自分の姿を客観的に掴むことができたためでした。
自分の考えを超えた英知があって、
た。
そのころ、子どもと遊ぶのは好きだったので、親戚・
んでいました。そうしましたら、子どもたちの言うことや、
などが、
て、たとえ話にして語っているのです。その子の置かれた状況や、
いかを語っています。びっくりしました。
いわゆる昔話、メルヒェンも、夢と同じ言語を使っていました。
話は夢の語り口に非常に近いです。荒唐無稽で、
多くは、困難に遭ったときどうやって生きたらいいかの物語です。
も多くを語っています。
人類の知恵の宝庫というようなものがあり、古来、
る語り部たちがいるのです。現代の日本でしたら、
い語り部だと思います。
シュタイナー教育に出会ったとき、
入れていることに感動しました。
ジーを経由していくのです。シュタイナーという人は、
いると思いました。
今、わたしが読むことが多いのは、時間があればC.S.
物語(全7巻)」です。
自分で書いた物語を使うこともあります。
は英文和訳だ。だったら逆に、
書きました。
いずれも、「いかなる危難に出会うとも、
ということを子どもに伝えようとしています。
り過ぎてしまいますが、
子どもは安心できていると、すごい力を発揮します。
古山明男