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学ぶ同期

古山です。

もしも自転車に乗ることが学校の正課であって、台の上でバランスを取る訓練、
ペダルのこぎ方の訓練、とっさの場合の対応訓練、自転車の構造の筆記試験など
があったら....、自転車に乗れない子、自転車を嫌がる子の続出になるでし
ょう。

子どもが自転車に乗れるようになるとき、誰かが自転車に乗っている姿を見て、
「自分もできるようになりたい」と思うから、自転車の練習をするのです。それ
を、もし、ただペダルをこがされていたら、いったい何のために何をしているの
かわかりません。

それと同じようなことが、学校の勉強で起こっているのだと思います。自分がい
ま何のために何をやっているのかわからないから、さっぱり身が入らないのです。

現代の学校教育は、工場労働の影響を強く受けています。誰でもできるような単
純な動作や作業に分解して教えれば、誰でもできるようになる、という原理に影
響されています。

大人なら、「金のため」や「命令されたから」ということでやりますが、子ども
はついてきません。
ご褒美で釣ればご褒美だけかすめとろうとしますし、脅せば言われたことだけや
るけれど全般的な能力低下が起こります。、

子どもが身を入れて何かを習得しようとしているときの動機に、大きく分けると
3通りあると思います。

・内発的
歩く、しゃべる、絵を描く、積み木を積む
・誰かがやっているのを見て、同じことをしたくなった
野球、スケボー、たいていの玩具
・信頼している人が教えた
いろんな習い事

子どもが特に関心を持っていないことても、「これをやってごらん」と言われれ
ばついてくるのは、信頼関係がある場合だけです。
単純に、簡単なことだからやる、というわけではありません。

信頼関係がないのに教えようとすれば、それは何らかの賞罰、競争、説得に訴え
ざるを得ない。
学校教育の多くは、そうなっています。
そして、子どもに無理をさせると、教育が為されたような気になる。

幸福な人生を歩みたかったら、なんだか知らないけどやりたくなった、誰かのし
ていることを自分もしたくなった、心から信頼できる人だからついていきたくな
った、そういうことで学ぶことだと思います。

そのとき、すべての人や事物は、いつも深い意味を持って現れるようになります。

 

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古山明男

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古山明夫

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