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子どもと関わる喜び

古山です

ご近所のある男の子に、ずっと勉強とも遊びともつかないことを教えています。

中学校で不登校になり、高校も続きませんでした。いま20歳になったところで
す。高校に行けなくなったころから、関わりました。

小さな爆発をさせる実験をしたりすると、そういう実験は好きなのだけれど、と
ても怖がります。おそらく、ハイパーセンシティブ(超敏感)な子だったのだと
思います。

その子にとっての学校は、怖さを自覚できないままの「怖い」だけで終わってし
まったのでした。

教科面は、かけ算九九も穴だらけの状態でした。社会性はというと、自己主張を
せず、いつでも笑顔を浮かべ、なんにでもうなずいて、生き延びてきたのでした。
中学でいじめられて不登校になりました。絶好のいじめターゲットにされたよう
です。

エンジンをいじったり、電気回路を作ったりするのは大好きな子だったので、そ
れでいっしょに付き合っていました。私も嫌いじゃありません。その子と一緒に
「こうしたらどうなるだろう」「じゃ、やってみようか」、といろんなものを作
りました。

算数も、遊ぶ合間に、少しずつ教えてきました。
いつのまにか、小学校のドリルを終えました。

目標があったほうが意欲を出す子と、目標があるとプレッシャーを感じて打ち込
めない子がいます。
この子の場合は、ちょっと「高卒認定というのがあるけど....」と言ったら、
とたんに尻込みしました。それで、目標なしでやっています。目の前のそれをや
るだけ。

その日は、中学の正負の数の計算をやっていました。
春もうららの日でした。

その子が、正負の計算をちゃんとやりました。

そのとき、幼児を見ている大人が「あれ、立ったよ」「おお、歩いた」と喜んで
いるのと同じ気持ちになりました。その子が何歳であるかは、まったくどうでも
よいことでした。

叱らずに褒めたほうが伸びる、というような打算の次元ではなくて、ただその子
のすることが嬉しかったのでした。
直感的に、この喜びは教育の本質にあるものだと感じました。

われわれは、学校で「そのくらいはできて当然。もっと先を見ろ」「ついていけ
なかったら大変だぞ」を深く刷り込まれています。それで、子どもが当たり前の
ことをできたときの感動がなくなっています。

実は、初歩的なことの中にこそ、人類の英知がこもっています。

 

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古山明男

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古山明夫

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