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上手にやりたいと投げ出したい

古山です。

もう一度、明けましておめでとうございます。

犬歳にちなんで、犬の絵を描きました。添付しますが、見れますでしょうか。

昔飼っていた犬です。ジローくんという名前です。賢い犬でした。写真をもとに、
さきほど描きました。

実は、この絵を描いているときに、「学び」について、ものすごく学ぶことがあ
ったもので、その報告も兼ねて絵を送ります。

多少は絵の腕に覚えはあるもので、水彩でサラッと味のある絵を描いてやろうと
思いました。
ところが、やってみると、描けないこと、描けないこと。

書き直しても、さっぱりです。
「だめだ、だめだ」
の思いばかりこみ上げ、投げ出しかけました。

そのとき、「待てよ」と思いました。
自分が研究しているのは、「子どものやる気」じゃないか。いま、子どもが勉強
を投げ出すのと同じ気分のはずだ。絵が描けるかどうかはどうでもいい、とにか
く自分の中で起こっていることを感じ取ろう。

そうやって気持ちを感じてみると。
胸の中に、きつーいものがあります。「まずい、まずい、なってない」と言って
いるのです。

大人になっていますから、眼だけは肥えています。視点がきつい。それ以上描く
気が起こりません。

ああ、そうか。
子どもであるということは、こういうとき、出来映えを気にせずに書き続ける。
それが子どもの才能なのだ。下手であるか、上手であるかは気にならない。

そのうち、大人の視点ができてくる。
そうすると、あれがまずい、これがまずい、ばかり言い出す。そして、型にはま
った絵ばかり描くようになる。

よい教育とは、この大人の視点が子どものやる気と調和していくのだ。

いま、自分でやらなくて、いつやるのか?
いま、自分の中の大人が、自分の中の子どもと調和しなければ。

この、きつーい批評精し神がくせ者です。
ついその批評精神を、「そんなにきつくちゃ、ダメ」と言いたくなる。
でも、そう言うこと自体がキツさじゃありません。ここでダメ出しをしていたら、
同じことになる。

と、胸の中のキツさにダメ出しせずに感じ取っています。キツい自分よ、かわい
そうに「そんな不寛容なのは自分じゃない」と言われて、私から閉め出されてし
まった。それで、厳しく主張しているんだね。

それから、しばらく、キツい気持になっていました。なんの救いもない。つらい
だけ。
それでも、どんなにダメな子であっても、私はこの子を抱きしめる。そんな感じ。

べつにそれでどうなったわけでもないけど、こんなことをして、いったい効果が
あるのだろうか、と思う。
でも、それから、また絵を描く気が起こりました。

そうしたら、特に意図的ではないのですが、まずいところを「こうしてみよう」
という気になります。さっきだったら、「こんなの、もう」と言っていたのが、
「ここをこういうふうにして、もう一度やってみよう」となりました。

そうやって書き直すこと2回。
まあ、なんとかはなっている、というものができました。
不満だらけです。でも、自分でもいちおう見られる。
それが、添付してある絵です。

いや、けっこう気に入った絵になりました。

でも、この自分の中のドラマが面白かったこと、面白かったこと。
みなさんとなら、共有できるかと思いました。

古山明男

 

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古山明夫

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