泣く力

古山です。

先月父が死んで、葬儀一式終え、少しずつ遺品の片付けなどしています。

涙がいっぱいでました。

99歳で老衰で死んだので「ご卒業おめでとうございます」みたいなことですし、
これで介護も終止符を打ちます。「嘆き」も「悲哀」も全然ない。ただ涙が出ま
す。

型どおりに「ご愁傷様でした」と言われると、ポローッと涙が出てきます。
それはこういう時の儀礼の言葉さ、それは他人の葬式に行ったときの自分でわか
るじゃないか、と承知しているのだけど...。

涙には、生きる力を湧き出させる力がある。

そう思っていますので、涙が出たらもうけもの、身内の葬式となればこれ幸い、
天下無敵だ。涙で言葉を詰まらせていれば、面倒なあいさつもしないで済む。

涙は、喪失があったときの、天の与えたもうた恵み。
涙は、いったんすべてをクリヤーしてくれる。

自分だけ泣いていてももったいないから、通夜の式場で、父が苦学し、戦争を生
き延び、戦後自分の家庭を維持することに全力を挙げ、老いていった一代を紹介
するプレゼンをやりました。たくさん、泣かせてやった。

 

戦後、私が子どもの頃、泣かせる映画が多かったです。テレビがまだない時代で
す。「3本立。3倍泣けます」なんて広告がありました。

戦争でたくさん死んだ。家が焼かれた。頼っていた国が瓦解した。
そこで流した涙が戦後復興のエネルギーになったし、押さえ込まれた涙が職場や
学校のガンバリズムになったのだと思います。

ミッチャーリッヒというドイツの精神医学者が、「失われた悲哀」という本で、
ドイツでナチズムが興ったのは、第一次大戦での敗戦を悲哀として受け止めきれ
なかったからだ、と言っていました。本質をついていると思います。

泣けない人間たちが、無理の多い社会を作ります。

子どもはよく泣きます。
子どもが泣くことができなかったら、たいへんな悲劇です。子どもは無力で、い
ろんな力に翻弄されて生きています。何かあればいつも涙でクリヤーしているか
ら、いつも新たな力が湧き出ています。

学校は、泣くことを抑圧するところです。
だから、学校での出来事を処理しきれない子どもがたくさん出ます。

不登校の子どもたちは泣かない。我慢している。ついに動けなくなる。どんな理
不尽があったのか、本人にもわからない。わからないまま、壁を殴って穴をあけ
る。

もし自分に文才があったら、自分が出会った不登校の子どもたちのことを小説に
書いてやる。涙すら流せない子どもたちのことを描いてやる。日本中の涙を絞り
取ってやる、と時々思います。でも、こればかりは、思ったくらいではどうにも
ならない。もしも、天からのインスピレーションのようなものがやってきたら、
非才を顧みないことにしよう、とは思っています。

 

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古山明男

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