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才能教育とはまた違った次元で

 
それぞれの人間に持って生まれたいろいろな持ち味がある、その持ち味を生かす
ために生まれてきている、ということを感じます。

これは、単にいろんな才能がある、という意味ではありません。
よく「お勉強はさっぱりだけど、スポーツが、絵を描くのが....」と言い方
がされる子どもたちがいます。
そういう目で見てあげるといい子どもたちも確かにいます。でも、技能に着目し
ていく見方には、しょせんは狭いところがあります。食っていくための才能、評
価されるための才能、というところしか見ていない感じなのです。現在の「学歴、
資格を身につけ、能力を伸ばして社会に出る」という教育観の中での見方だと思
います。

「この人、どうも癒やし系だ」という人がときどきいます。
どうということのない人だけど、いっしょに居て邪魔にならない。落ち着く。そ
の人と居ると悩み事が気にならない。そんな感じなのです。
こういう人たちは、「こうでなければならない」が内面にないのです。起こるこ
とをハートで受け止める力を持っている。だから人が癒やされる。
こういう人たちは、世の宝みたいな人だと思います。
しかし、このタイプは、おおむね現在の教育体系には合わないことが多いのです。
もし、こういう人たちが「自分の目標を持って、頑張る」ような生き方をしたら、
大事なものが壊れてしまっていたと思います。「わたしは、これこれができるの
です」と誇らしく見せることができるようなものは持っていないことが多い。

それと似ているのですが、『太古の知恵』系の人たちがいるように思います。
これは、東洋では「老子」とか、「悟りを開いた人」みたいなモデルが知られて
いるので、いささかは理解されやすいとは思います。
このタイプは、知識、技能の習得を「小賢しいこと」と感じ取る直感を持ってい
て、人生知だけに焦点を当てているような感じ。このタイプのすごいところは、
他人に「おまえはバカだ」と言われると、ほんとうに「自分はバカだ」と信じ込
むこと。

そういう人生知系の人たちと違い、才能系の人は、比較的現在の価値観でも測り
やすいのですが、その中にもいろいろいます。ものすごく才能に恵まれているが、
いったんうまくいかなくなると、自分も他人も切り裂いていくようなタイプ。

本当に才能らしい才能に恵まれた人たちは、子どもであっても、他人からの指示、
アドバイスが邪魔になってしまうことが多い。そこまで見抜いて援助できる教師
は少ない。

中国の三国志に出てくるような「治世の奸、乱世の雄」というようなタイプもい
ます。学校などバカにしていることが多い。

芸術系の人たちが最も必要としているのは、知識・技能ではなくて、自分に流れ
込んでくる様々な印象や感情の暴風の中で、いかに生き抜くかのアート(技術)
です。

その他、たくさん、たくさん。

現在の義務教育の理念は、「人はいろいろです。だから、それは尊重したまま、
最低限のことだけ身につけさせましょう」のはずです。そうであってほしい。
ところが、実際は、プレッシャーをかけ、与えられたノルマを達成させる生き方
を叩き込んでいる。学校の拘束時間は長いし、休日や家庭でまでの努力を要求す
る。だもので、その人の持ち味が見えなくなる

もちろん、そういう教育でも、よいところだけ取り込んでいける人たちもいます。
でも、そういう人たちは少数だと思います。

合わない人たちもたくさんいます。学校時代は、ただぼんやりと過ごした、とい
う人たちの多くには、もっとましな教育があり得たと思います。
発達障害や、学習障害と思われている人たちに、実は違うタイプの知性、違うタ
イプの生き方であるものが多いように思います。

人が学ばなくなるのは、恐怖によってです。訓練不足ではありません。

恐怖に訴えないこと、「これは美しい、これは立派だ」というようなことを子ど
もと分かち合おうとすること。そのくらいのことをしているだけで、その子がど
ういうものであるか、見えてくるものです。
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古山明男

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古山明夫

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