古山です。
いまの義務教育の内容は、人間の発達に沿っていないということを、痛切に感じ
ます。いまの義務教育は、近代国家建設のために作られたものであって、人間理
解から生まれてきているものではないです。
たくさんの落ちこぼれた子ども、成績はよいが偏差値秀才にされた子ども、勉強
を家でやらせるための親子バトル。
私塾をやっていて、そんなものを、たくさん見てきました。
教室の椅子に座らせ、黒板と教科書で一斉授業をするという形式は、高校生くら
いの年齢ならさほど無理はないと思います。このやり方の長所は、効率がいいこ
とです。うまくいった場合には、一人の教師で何十人に短時間で教えられます。
でも、その同じやり方で6歳、7歳から教育しようとするのは、無理が多いと思い
ます。
これは、国の側にばかり都合がいい教育方法なのです。法律一つで地域の子ども
を集め、教師を選ばせない。ついてこなければ将来がないぞと洗脳する。
強引ですねえ。
だから、誉めたり脅したり、なんらかの暴力的な手段に手を出さざるを得なくな
ります。
子どもは活動的です。よく遊びます。自分から、いろんなことをいじり、性質を
みつけ、スキルを得ようとしています。そこに「こんなこともあるよ」と大人が
関わってもいいです。
教育する義務と言うのは、子どものこの活動を支援することだと思います。遊び
の支援であると言ってもいいです。
いまでも、うまくいっている教育は、子どもが遊び感覚でやっています。
未来の教育は、遊びと見分けがつかなくなっているだろうと思います。
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古山明男