古山です。
私の塾の部屋に、絵が飾ってあります。来た人が、「いい絵ですね。誰の絵です
か」と尋ねてくれると、「ふふふ」と言って、私が自分を指さします。ちょっと
得意になれますね。嬉しいですね。
「これなら、絵本にしたらいいのに」
よく、そう言われます。まんざらお世辞でもなさそうです。
たしかに、この程度描けるなら、絵本画家にもイラストレーターにもなれたろう
に、と思うのです。
ところが、だめだったんです。
その気になったことはあるのですが、だめでした。本気でやろうとしたら、もう
絵のレベルが落ちてしまって、どうにもならなかった。
飾ってある絵は、知人の子どもたちのために描いたものでした。私がちょっと描
くと、その子たちがものすごく喜んでくれるのです。それで、私はノッてしまっ
て、工夫しまくり、技法を研究し、短期間にすごく腕を上げました。
そうしたら、大人が目をつけます。
「古山さん、本気でやったら」
私も、やってみようと思いました。すると、結果が気になり出します。描いてい
るものが出版されて人気になって賞を取って、なんてのを、空想します。「そう
なるはずないこと、わかってるけどさ」、なんて言い訳しながらね。
売れるほどのものを目指すと、うまく描こうとします。それが、描きたい意欲を
追い越します。もう大人なので、眼だけは肥えています。自分の描いているもの
が、これじゃだめだ、というのはよくわかる。でも、問題点を指摘はできるけれ
ど、どうしたらいいかの感覚は湧いてこない。
だんだん、描くのが進まなくなり、いつのまにか、投げ出しました。
これが、評定されるということだと思います。自分で自分を評定してしまった。
それで、自分の中の子どもがすくみあがってしまった。
あの頃はまだ、自分を愛することを知らなかった。
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古山明男