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評定ではなく

古山です。

学校のしていることで、「これは違うなあ」と思うことがあります。それは、子
どもの学びを成績にして評定することです。

ふだんの生活の中での学びを考えてください。

自転車に乗るのだったら、最終的な目的は、自転車を乗りこなせることです。だ
れかに褒められるためでもないし、いい点数を取るためでもありません。

料理を教わったなら、その成果は、自分でおいしいものを作れることでしょう。

算数の成果は、数量を使いこなせることでしょう。お兄ちゃんのお菓子と自分の
お菓子のどちらが多いかわかるとか、工作をして長さをそろえるとか、料理を4
人分作るのだったら材料をどれだけ必要かとか、そういうことです。誰かに点数
をつけられるためじゃない。

だから、私が算数を教えると、足し算や引き算より先に、長さや重さを導入して、
やれ長すぎるとか重すぎるとかいうストーリーで遊びます。その中から、足し算
や引き算が自然発生します。

計算練習は、サイコロを振ってモンスターとバトルするのを、よく使っています。
これは、足し算と引き算で成り立つようなゲームです。「2倍にする魔法」など
が現れれば、掛け算や割り算も簡単にゲームにできます。これだと、子どもが熱
くなってやります。

学校は、けっこう役に立つことを教えてくれています。ところが、成績をつける
というのが、大間違いだと思う。
苦手意識を持った子を、大量に生み出してしまう。

何かを習得させるのに、スモールステップを作って、一つ一つの出来具合を確か
めて次に進ませるというのも、優れた方法の一つではあります。
ところが、学校では、足し算と引き算を教えているうちに、なんのために何をし
ているのか、子どもたちがわからなくなってしまうのです。そして、評価される
ことに子どもたちが怯えてします。これでは本末転倒です。

足し算や引き算がわからない子はいないですよ。無味乾燥さに耐えられない子が
いるだけです。

いつのまにか、つまらないことを無理するのが学習だと思い込まれています。
プリントをやったとか、机に何時間向かったとか。
評定があるから無理しなければならない。

おもしろがっていれば、それですむことなのに。

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古山明夫

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