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小学校低学年のころ(2)

古山です。

私の小学校低学年の頃のことを書きました。

よく、なんとかなったものだと思うのですが、なんとかなった理由はこんなこと
じゃないか、というのが二つあります。

一つは、人間一人一人に配信されている「音楽のようなもの」に波長を合わせて
いたこと。
もう一つは、環境の変化、特に親の態度の変化でした。

環境の変化のほうは説明しやすいです。

1年生の後半か2年生になったくらいのとき、疲れやすく、体重が減るようにな
りました。胸のレントゲンで、影があるのがみつかりました。結核の初期でした。

とたんに母の態度が変わりました。食生活で、卵や牛乳が多くなりました。私に
注意を向けるようになりました。いたわってくれる態度が、多くなりました。

母は、日常をやりくりするので精一杯でした。
そのころ、家庭の状況が複雑でした。母の弟がまだ成人していなくて、その弟に
精米屋をやらせるために、母は夫と子どもを連れて、自分の弟のところに移り住
んでいました。私の妹も生まれていました。

弟、子どもたち、夫が母一人の愛情にぶら下がろうとする。そこで、母は、誰に
も愛情を出さないようにして、愛情の奪い合いを防いでいた。どうも、そんなこ
とじゃなかったかと思われるのです。
ガスも、冷蔵庫も、洗濯機もない時代です。家事を一通りやるだけで、たいへん
な労力だったと思います。そこに、商売の手伝いまであった。

その環境が変わりました。弟を見合いさせて結婚させ、母は一家を引き連れて、
もとの家に戻ってきました。家族水入らずの生活が始まりました。私が、3年生
になったくらいのときです。

母が安心できたのだと思います。私が明るくなって、はしゃぐことが多くなりま
した。
3年生のクラスになって、友達ができました。歯医者の息子で、好奇心旺盛、手
と口と頭がよく動いた。この子とツルむのが楽しかった。この子が、いろんな遊
びを教えてくれました。それから4年間同級でした。
結核も自然治癒しました。

それがちょうど、私が、シュタイナーの言う「9歳の危機」を渡るやり方でした。

この時期、大きな孤独感がやってきます。
それまでの年齢は、基本的に親からのケアだけでよいのですが、この年齢になる
と、それだけでは足りなくなる。家族のケアも大事ですが、家族以外に「この人
間なら波長が合う」という人が必要になります。誰か大人でもいいし、友達でも
いいです。

そうすると、その子のもっとも基本的なところが安定して、外界にキラキラした
ものがたくさん見つかるようになります。
そのキラキラしたものを追いかけている中で、その人らしさや、クリエイティブ
なものが伸びていきます。

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古山明夫

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