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結果求めず自由な時間を

結果求めず自由な時間を

知識を伝えては、マルやバツや点数をつけている教育は、卑小だと思います。
どんな知識にもそれ自体の生命があり。子どもの中で熟成していくものです。

中学生の息子を持つあるお母さんが教えてくれたことです。その子が寝る前に
布団の中でこう言いました。
「今日、理科の時間に原子と分子を習って、大きいプラス原子核の周りを小さい
マイナス電子が周っている形が宇宙の惑星にそっくりだったんだよ。すべてのも
のがその原子や分子からできていて、人の体も世界も宇宙もそうだとしたら、僕
たちが暮らしているこの世界も誰かの体の一部なのかもしれないと思えてきて、
ぼくたちが毎日いろいろやってることもなんだかとてもちっぽけなことのような
気がしてきたんだよね」
中学生くらいの子どもの中から深遠な哲学者が顔を現すことは、普通のことで
す。中学生くらいの年齢はそうなのです。

実は偶然その夕方、私はその子を海辺に連れて行っていました。私が貝の取り
方を教え、その子がカニの取り方を教えてくれました。夕日が東京湾の向こうに
沈んでいきました。東京の高層ビル群が箱庭のように見えていました。私は金星
を教えるつもりでした。雲があるので「あようと思いましたがのあたり」と指さ
しました。雲があって見えませんでした。
カモメの大群が堤防にとまっていました。なにかの拍子で一斉にバッと羽音を
立てて飛び立ちました。
空の高いところを別な鳥の大群が飛んでいました。私には見えなかったのをその
子が「あそこ、あそこ」と教えてくれました。V字形に飛ぶ渡り鳥でした。
それらすべては、卑小さとは正反対のものでした。

この夕方の時間があったから、その子の中で、学校で教わった原子の知識が哲
学にまでなったのかもしれません。そうでないかもしれません。でも確かに言え
ることは、子どもの中で知識・技能が熟成するためには、結果を求められないこ
とと、自由な時間が必要なことです。ちょっと伝授してあとは自由にいじらせる、
自由に遊ばせる。評定はしない。私は、そのういう教育方法を研究してきました。

熟成させたかったらそっとしておくことです。評定しないことです。アドバイ
スしないことです。原子の構造も星の運行も、人間をはるかに超えた秩序・法則
です。子どもといっしょに見上げることしかできないと思うのです。

 

(信濃毎日新聞2015年5月20日号掲載)

古山明男

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古山明夫

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